OUR STORY

橆々園藝社(むむえんげいしゃ)ができるまで

 

私たち、橆々園藝社(むむ えんげいしゃ)は、 2020年に夫婦で設立した小さな造園社です。 東京と長野を拠点に、お庭やランドスケープのデザイン、植物の栽培、住まいの植物とインテリアのプロデュースを行っています。

造園デザインを行う倉持陽介は、元々、東京・南青山の複合文化施設で、地域や企業のアートプロデュースや、展覧会・舞台公演の制作、ギャラリーの運営にたずさわってきました。そこでは、日々、新しい技術や、変化する時代の空気を受け、クリエイターの表現が豊かに拡がっていくのを目の当たりにしてきました。

一方で、人が自然の中で感じる快さや、動植物の色彩、フォルムの美しさは、今なおクリエイターの創作の源であり、感性を揺さぶる普遍的なモチーフであることに気づきました。

風を感じさせるテキスタイル、 野生環境を音や香りで表現したライブパフォーマンス、 花の存在感を映し出した陶器など、自然が生み出す創造物が作品に昇華され、 鑑賞者の心を和ませ、ときに感覚や記憶を刺激する。 そんな作品との出会いを重ねる中で、感覚を豊かにする植物を使った表現や場づくりに、次第に興味を持つようになりました。

 

そして、作庭の祖 夢窓国師による西芳寺や、見立て手法を凝縮した桂離宮、小川治兵衛の代表作 無鄰菴をはじめ、彫刻家 朝倉文夫の私邸 朝倉彫塑館、イサムノグチのモエレの沼公園など、古今の作庭家や美術家によって作られた庭やランドスケープをめぐる中で、すっかりその奥深さにはまってしまい、これこそ風土と創作、時間と植物が生み出す 空間芸術であると思い至りました。

それからさらに、国内外の庭やランドスケープを巡りました。その中で、イギリスやドイツの庭園ではキュレーターが在籍し、彼らによって緻密な会場計画が練られ、現代アートや環境科学からのアプローチや教育プログラムなど、まるで美術館のような場づくりがなされていたのが印象的でした。

また、そこで出逢ったガーデナーたちは、ガーデニングを ''最も長いパフォーミングアーツ'' として捉え、仕事をするそうです。舞台やライブパフォーマンスの制作にたずさわってきたこともあり、ガーデンを舞台として捉え、植物を群舞や移ろいのパフォーマンスとして見立てる考え方に面白みを感じて、次第にその世界に引き込まれて行きました。

 

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それまで10年間勤めた会社を辞した後、雑木を主体とした自然風の作庭で知られる造園家のもとで修行させてもらいました。 そこでは、伝統的な日本の造園手法をベースに、現代の住まい空間にも沿う、涼やかで凛とした和の空気感がただよう庭を作られていました。そこでの仕事は絵にかいたような職人の世界で、それはそれは怒られ続けました。職人らしいキリッとした身なり、はっきりとした受け答え、挨拶、掃除。

職人の世界において、これまでの経験はなんの役にもたたず、ゼロからの出発であることを痛感しました。

また、日本の庭園美を生み出す上で、剪定と掃除にどれだけの技術力と丁寧さが必要かを、身をもって知りました。目に触れない部分までいかに手を抜かず掃除するか、樹々の成長をいかに想像するか。時間内でいかに職人としての質と仕上がりの完成度を生み出すか。熟練の庭師の手にかかり、木屑一つ、枯葉の一枚もない掃除の行き届いた庭は、輝きに満ちて、涼やかで快い場に生まれ変わります。

職人として修行する中で、何より教え込まれたのは知識ではなく、そんな職人としての気骨だったように思います。

 

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そんな研修を終え、妻でありファシリテーターとして活動する藤田ハルノと、夫婦で造園設計と共に、屋外空間でのアクティビティを提案する造園会社を立ち上げ拠点を持とうと話すようになりました。

関東から信州のさまざまな場所を巡る中で、出逢ったのが長野県 東御市 新張の山間の土地でした。浅間山や八ヶ岳などの山々に囲まれた見晴らしが良く、元々花卉農家として花卉栽培がされていた良質な土が残る休耕地でした。

標高1200mで南斜面で晴天率の高い、寒暖差がはっきりとしているこの場所は、山野草やハーブ、花卉の栽培に適した環境です。東御市や不動産会社、持ち主様にもご理解いただき、この場を拠点とすることにしました。

 

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